映画「ザ・ライト」 [言葉・御言葉]
いきなりホラーにも分類されちゃうような映画ですが、
でも内容的には、ただ怖い映画ではなくて、
実在のエクソシストをモデルに作られた映画とのこと。
信仰を持つ方にも持たない方にも、
見応えのある映画なのではないかと思いました。
以下は一番いいところのネタバレになっていますので、
興味のある方は映画本編をご覧になってから、お読み下さい。
映画のクライマックスで、
若い司祭が、悪魔に打ち負かされそうになって、
「俺(悪魔)を信じろ」と言われて答えた言葉。
「おまえ(悪魔)を信じる・・・
(間)
ゆえに神を信じる。全知全能の創造主たる神を信じる。」
悪魔に打ち負かされそうになった司祭が、一転して、
本物のエクソシストになって行く、一番のクライマックスシーンなのですが、
何となくこの司祭がたどり着いたところが、
普通の信仰者にとっても大事なところのような気がしたのです。
信仰の道は、美しく聖いものだけを見て行くものではない、
って、以前から何となくはわかってはいたのですけれど、
実際、神様の聖さに近づけば近づくほど、人間の自分の中にある聖くないもの、
つまり、悪魔の下にあるものにも直面させられるものだなぁ、
と、感じることが多くありました。
また最初は、そういう自分の中の聖くないものを、
極力自分から排除して、遠ざかって、
ひたすら聖いものだけを求めて歩んで行くのが、
信仰者の道だと思っていたのですが、
実際はどんなに排除して、遠ざかっていようと思っても、
ちっともそれらは自分の中で解決できなくて、
却って、私の上にもっとひどい呪いになって私を痛めつける、
という体験をするのでした。
それで、話はちょっと跳ぶのですが、
ここ数年は、べてるの家の当事者研究について学んでいる私です。
当事者研究では最初に、自分の病気や苦労を
「良いもの」「素晴らしいもの」として、受け止め直す、
しかもそれをただ、治療のための必要悪として行うのではなくて、
本当に心から、徹底してそのようにとらえ直す、
という考え方をします。
私は最初、その考え方に非常に衝撃を受けました。
でも、何かとても大切なものがあるような気もしたのです。
そこで、私も自分自身の色々な苦労について、
べてるの家の考え方を取り入れて、実践してみました。
(その辺のことは、前の「めう日記」にも少し書いてあります)
するとそれは、決して神様から遠ざかる道ではなく、
神様の前に、より自分らしく、喜んで進んで行ける道なのではないか?
という確かな感触があったのです。
でも、何となく確信を持ちながらも、なかなか実際に、
自分の信仰者としてのあり方と、べてるの家の考え方を
どうつなげて行ったら良いのか、私の中では、
今ひとつ整理がつかないでいました。
そこへ来て、この映画を見て、
私の中でつながった!というのが、上記の言葉でした。
でも内容的には、ただ怖い映画ではなくて、
実在のエクソシストをモデルに作られた映画とのこと。
信仰を持つ方にも持たない方にも、
見応えのある映画なのではないかと思いました。
以下は一番いいところのネタバレになっていますので、
興味のある方は映画本編をご覧になってから、お読み下さい。
映画のクライマックスで、
若い司祭が、悪魔に打ち負かされそうになって、
「俺(悪魔)を信じろ」と言われて答えた言葉。
「おまえ(悪魔)を信じる・・・
(間)
ゆえに神を信じる。全知全能の創造主たる神を信じる。」
悪魔に打ち負かされそうになった司祭が、一転して、
本物のエクソシストになって行く、一番のクライマックスシーンなのですが、
何となくこの司祭がたどり着いたところが、
普通の信仰者にとっても大事なところのような気がしたのです。
信仰の道は、美しく聖いものだけを見て行くものではない、
って、以前から何となくはわかってはいたのですけれど、
実際、神様の聖さに近づけば近づくほど、人間の自分の中にある聖くないもの、
つまり、悪魔の下にあるものにも直面させられるものだなぁ、
と、感じることが多くありました。
また最初は、そういう自分の中の聖くないものを、
極力自分から排除して、遠ざかって、
ひたすら聖いものだけを求めて歩んで行くのが、
信仰者の道だと思っていたのですが、
実際はどんなに排除して、遠ざかっていようと思っても、
ちっともそれらは自分の中で解決できなくて、
却って、私の上にもっとひどい呪いになって私を痛めつける、
という体験をするのでした。
それで、話はちょっと跳ぶのですが、
ここ数年は、べてるの家の当事者研究について学んでいる私です。
当事者研究では最初に、自分の病気や苦労を
「良いもの」「素晴らしいもの」として、受け止め直す、
しかもそれをただ、治療のための必要悪として行うのではなくて、
本当に心から、徹底してそのようにとらえ直す、
という考え方をします。
私は最初、その考え方に非常に衝撃を受けました。
でも、何かとても大切なものがあるような気もしたのです。
そこで、私も自分自身の色々な苦労について、
べてるの家の考え方を取り入れて、実践してみました。
(その辺のことは、前の「めう日記」にも少し書いてあります)
するとそれは、決して神様から遠ざかる道ではなく、
神様の前に、より自分らしく、喜んで進んで行ける道なのではないか?
という確かな感触があったのです。
でも、何となく確信を持ちながらも、なかなか実際に、
自分の信仰者としてのあり方と、べてるの家の考え方を
どうつなげて行ったら良いのか、私の中では、
今ひとつ整理がつかないでいました。
そこへ来て、この映画を見て、
私の中でつながった!というのが、上記の言葉でした。
2014-10-31 22:51
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