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ダンナさんの本が [音楽日記]

ダンナさんの本が、それなりに売れているらしい・・・
楽譜専門店の◯マハのウェブショップでは、
評論、随筆、読み物部門の1位になっています!

おぉ、すげえ・・・
思わずそのページを印刷してしまいました。
(ランキングは毎日変わっちゃうし、
こんなことは一生に一回しかないだろうから)

それにしても、ダンナさんが十年近くかかって、
(聴いて来た年数を考えると、もっと?)
楽しみながら研究したものに、
共感して、楽しんで下さる方が居るというのは、
素敵なことだなぁ、と思います。
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シンギングボウル [音楽日記]

昨日は、前の日記で書いていた、
シンギングボウルを体験できる講座を、初めて受講して来ました。

私が体験して来たのは、→こちらのワークショップです。

昨日は、暑い日だったせいか、参加者は6名でいつもより少なめだったようですが、
人数が少ない分、お一人お一人の奏でる音をお互いに聴き合って、
落ち着いた雰囲気の中でシンギングボウルに触れることができました。

やっぱり本物のシンギングボウルは、素晴らしい音でした。
倍音がふぁんふぁんと回転しながらお部屋に立ち昇って行くと、
空間が静謐な感じに変わって、とても気持ち良いのです。

最初はなかなか良い音が出なかったのですけれど、
ナビゲーターの先生がアドバイスして下さると、
段々私の手の中でボウルがきれいな倍音を出すようになって、
無心になって聞き入っていました。

最後には、ナビゲーターの先生の演奏がありました。
演奏のはじめは、なぜか、私がアレルギーを抱えている、
喉にズーンと重みを感じて、少し咳が出たのですが、
聴いているうちに楽になって来ました。
後で先生にそれを申し上げると、
癒しの過程で、咳が出たようです。

ダンナさんが、誕生日プレゼントとして、
好きなシンギングボウルを買って来て良いですよ、
と言ってくれていたので、
まずは自分に相性の良いボウルを一つ買う予定だったのですが、
いざ選ぶ段になって、
ある中ボウルと小ボウルが、兄弟のように響き合うのを感じて、
どちらも欲しくなってしまいました。

そこで、エイヤッと二つ購入してしまいました。
シンギングボウルは、同じ人が演奏しても、
日によって音色が違うし、
ボウル自体も、年月によって音が変わって行ったりするそうです。
先生はそれを、「ボウルを育てる」とおっしゃっていました。
なんか素敵だなぁと思いました。

私の兄弟のボウルも、どんな風に育って行くのか、
そして私の心身も、どう育って行くのか、楽しみです。
そして育って行った私が、もっと神様に近づけるようになれたらうれしいです。

それから、このボウルを作った、チベットの方々の苦難にも
思いを馳せています。
シンギングボウルは、チベットの苦難があったからこそ、
人々が外国に亡命し、
それまで山奥で秘せられていた文化が私たちにも伝わることになったのですが、
チベットの人々にとっては、祖国に帰ることができない苦しみが
続いています。
私たちが恩恵を頂く分、彼らのためにも一層祈って行きたいと思います。
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明日は [音楽日記]

明日はいよいよ、3つ目の本番です。
いつもご一緒にご奉仕しているソプラノ歌手の方と、
埼玉県内の教会に行って、合宿中の教会学校の子供達と、
音楽のひと時を催します。
子供達にも、歌ってもらったり、楽器を演奏してもらったり、
お祈りを読んでもらったり、
参加してもらう催しになります。

私達にとっては、そういうご奉仕は初めてなのですが、
ソプラノ歌手の彼女は、音楽療法の勉強もしており、
子供の扱いも上手なので、楽しみながら、
神様を近く感じられるようなプログラムを考えてくれました。

それから、私自身、ハンドベルの編曲を通して興味を持った、
トーンチャイムを2オクターブ分買ったので、
それを子供達に演奏してもらうことにしました。

昨日は、ソプラノ歌手の方のお子さん達にも手伝ってもらって、
(小6、小2、3歳のお子さんがいます。
3歳の子はさすがに手伝いにはならなかったけど)
みんなで、明日のプログラムをシミュレーションしました。

昨日の子達も、割と楽しんでやってくれていたようなので、
明日は、みんなに楽しんでもらえるといいなと思います。

ちなみに、腱鞘炎にかかっていた私の左手は、
19日の本番が終わってからは、それほどハードな曲がなかったため、
治って来ました。
多分あと数日でもとに戻ると思います。
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本番二つ目無事終了 [音楽日記]

今日は、いつも教会で一緒にご奉仕しているソプラノ歌手の方と二人で、
教会以外の場で初めてコンサート(二人でするものとしては)がありました。

教会でのご奉仕だと、礼拝を共にして、みなさんに祈って頂いて、
全てが神様の守りの中で備えられて、本番を迎える訳ですが、
今回は、そうではない中での演奏で、
誰のために演奏するのか、何のために演奏するのか、
ということを考えていました。

結論としては、どんな場であっても、
私達の演奏は、いつも神様への信仰告白、
ということはわかっているのですが、
やはり準備する中で、改めて自問自答して行かないと、
本当の意味で神様に近づいて行くことができないように思うのです。

それで今日、結果的には、おおむね神様の方を向きながら
演奏できたように思います。
それでも、演奏中に時々変な意識にとらわれる瞬間もあって、
(おっ、うまく行ったかも!なんていう次の瞬間がやばい私)
神様ごめんなさい、という部分もありましたが・・・

まだまだ修行の道は長い私です。

でも、みなさんも楽しんで下さったようですし、
私も楽しく演奏できたので、良かったかと思います。
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腱鞘炎とサマリアの女 [音楽日記]

風邪が治ってから、まあまあの調子を取り戻し、
何とか3つの本番ができるかなぁ、と思っていたら、
18日の練習の後、左手首が腱鞘炎になってしまいました。

500人の合唱団(大人も子供も入れて)の大きな声に負けないように、
特にベースラインをしっかりと弾くようにしていたら、
モロに左手に来てしまったのです。

その日は、お風呂で手を温めて、チタンテープをベタベタ貼って寝ました。
昨日19日の本番は、少し痛いものの、演奏には支障なく弾けました。

今日はちょっとゆっくりと身体と手を休めています。
やっぱり左手首が痛いです。
でも、22日がまた本番なので、その練習も1時間半ぐらいはしました。
神様が何とか弾かせて下さることを祈りながら、準備しようと思います。

ここのところの本番続きで、私が心に留めていることは、
私の信仰のおじいちゃん、と心に決めた、安部哲さんの言葉、
「神様の小使い」であれ、ということです。

音楽で舞台に立つと、
やっぱり一番目立つソリストとか、指揮者とか、
先生と呼ばれる立場の人が、尊重されて目立ったりする訳ですけれど、
そんなことは、神様の目から見たら、どうでも良いことであって、
どちらかというと、神様は目立つ人ではなくて、
影でただ支える人に目を注がれるのです。

何か目覚ましい業績を上げたり、人から注目されたり、
ということが、本質的に嫌い、という人は多分あまりいなくて、
(人前に出るのが苦手、というようなことはあっても)
やっぱり褒められればうれしいし、
けなされたり、無視されたりしたら、寂しい。

でも、イエス様を信じる者が、何かをしようとするならば、
褒められる、けなされる、注目される、無視される、
ということを超えて、神様のためにすべてを行うべきなのだと思います。

そういう意味で、私が本番でピアノを弾く、ということは、
私が誰かに褒められるためではなくて、
そこに集まった人が、
神様が私達に下さった、音楽の恵みを体験するため、
そこから何か、癒しだったり、心の平安だったり、
そういうものを感じるため、
そして、その奥に、神様を感じるため、
でなければならないのだと思います。

聖書の中で、サマリアの女がイエス様のことをみんなに
「この人が救い主ではないか?」と伝えた時、
その結果みんながイエス様に会いに来て、信じることができたけれど、
誰もサマリアの女に感謝なんかしなかった。
むしろ、「あんたのお陰じゃない。」みたいなことを
言われてしまっているのだけれど、
でも神様は、きっと、そういう風に福音を伝えるということを
望んでおられるのだと思います。

そうそう、「バベットの晩餐会」という映画を見たことがあって、
そこに出てくる、バベットという女性シェフが、
村人を招いて渾身のディナーを作るのですけれど、
彼女の仕事も、そういう感じだったのを思い出します。
当時クリスチャンじゃなかった私には、
このバベットの満足感が、よくわからない部分もあったのですが、
彼女が何か、至高のものを感じていることだけはわかりました。

あの映画も、もう一度見てみたいな。
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体調&多忙 [音楽日記]

やっと風邪がほぼ治って、昨日は、高校に出勤でした。
先週は結局、木曜日から月曜日まで寝込んでしまいました。
火曜日になって、やっと熱が下がったのですが、
5日休んでいたので、足元はヨロヨロ、体力が落ちたのを感じていました。
でも、昨日水曜日の勤務は1時間だけだから、なんとかなるな、
と思っていました。
で、結局勤務自体はできたのですが、
朝、一時は欠勤かと思うことに襲われました。

それは、朝食が終わって出かける準備をしていて、
あと15分で家を出る、という時になって、
いきなり胃がキューっと痛くなって来たのです。

これまでも身体に無理が続くと、
胃がキューっと痙攣することはあって、それに近い痛みだったので、
大丈夫、しばらく寝ていれば治るさ、と思っていたのですが、
なかなか治りません・・・

これは、朝のお通じの兆候なのかな?とトイレに行ってみましたが、
それでも治りません・・・

出かける時刻はどんどん迫って来て、これは今日は欠勤するしかないか?
と思った時に、あることを思い出しました。

もしかしたら、心臓?

私は更年期に入ってから、時々、喉のあたりをギューっと、
絞られるような痛みを覚えることがあって、
検査では異常なしなのですが、
(心臓は、症状が出ている瞬間しか、検査に出て来ないそうです)
漢方の先生から、「それは心臓よ。」と教えて頂いて、
「還元顆粒」という漢方薬を頂いてあったのです。
漢方だけど割と即効性があります。

そこで、それを暖かいお湯と一緒に飲んでみました。
そしたら、すぐに、それこそ飲んでいる途中から、
痛みが楽になって行きました。

10分もしたら、痛みがすっかりなくなったので、
無事に出勤できました。

風邪で身体がまだ弱い時に、出勤で緊張したからかなぁ、
と思います。

でも、身体が弱っているから、とも言っていられない、
今週〜来週の予定があります。
ちょっとした手違いや、偶然からなのですが、
なんと、ピアノを弾く本番が、19日、22日、25日、と続くのです。
しかも、全部違うプログラムで!!

5日間ピアノを弾けなかったので、腕が少し落ちてしまってもいるので、
これから結構頑張って練習しなければならないし、
本番の緊張にも耐えなければならないのです。

まぁでも、神様が望んで下されば、どれもできるでしょうから、
焦らずにできることを一つ一つして行こうと思います。

本当は、安保法案のことでも行動したいのですが・・・
(国会前に行って、訴えたい!)
でも、19日のコンサートが、平和を訴えるコンサートなので、
それを心を込めて準備して演奏することが、
とりあえず今私のすべきことなのかな、と思います。
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昨日は [音楽日記]

昨日は、ずっと賛美デュオを組んでいる、
同じ教会の歌手の方と、狭山の教会で演奏して来ました。

朝の礼拝からお訪ねして、
礼拝の中でも一曲、特別賛美をした後、

教会のみなさんが作って下さったお食事を、
ご一緒に頂いて、
午後2時からコンサートをしました。

今回は、私にとっては、演奏に関して、
なかなか思うように行かないものを感じながらの準備でした。

最近は、自律神経の働き方が少し変わったのか、
本番中、演奏の途中で突然緊張して来て、
ペダルを踏んでいる足だけがガクガクしたり、
普段は考えられないようなミスタッチをしたり、
ということがあります。

若い時だってそういうことはあったのですが、
最近は、以前よりも、「思いもよらない」事態が
演奏中に起きるようになった、と感じています。

昨日は、普段は作曲者と伴奏者に徹している私が、
ピアノソロ曲を3曲も弾く!という、
ちょっとした試練もあったのですが、
(教会のピアノをオーバーホールなさった後最初の演奏会ということで、
新しくなったピアノのお披露目、という意味合いがありました)
最初の曲は、思いもよらないミスタッチが多くて、
困りました。

そういう時は私なりに、「神様、助けて下さい。」
と祈りながら弾くのですけれど、
そして、何とか止まったり、
大事故になったりはならずに弾けるのですけれど、
あせりながら何とか弾く、弱い自分が居ます。

でも、プログラムが進んで、
相棒の歌手の方の息づかいと合わせて演奏して行くうちに、
彼女の方から聖霊の力が流れて来る感じで、
だんだん私の中の何かが解きほぐされて、
少しずつ自分の演奏を取り戻すことができました。

そのような訳で、後半はとても良い状態で演奏できました。

聞いて下さった方にも、そういうことは伝わったようで、
みなさん喜んで下さっていました。

神様の業、そして人を通して働かれる神様の力の不思議、
というものを、改めて感じた一日でした。
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楽譜書く日々 [音楽日記]

最近は楽譜を書く仕事が多いです。
と言っても、編曲や、楽譜の作成が主です。

以前は、編曲の仕事はダメなんだ、と思っていました。
それは私の母が、作曲科を卒業しても作曲の才能がなかった父を、
創造性のないダメな人だ、といつも言っていたから。
(父は、編曲者としての腕はなかなか良いし、
それを教師の仕事の中で子供に演奏させて、
音楽の楽しさを伝えて来たのだから、
今の私は、父の仕事を素晴らしいと思っています。)

だから、私はダメな人になってはいけない、と思って、
何が何でも、作曲することにしがみついていなければならない、
と思っていました。

でも神様は私にも、一から作り出す作曲よりも、
詞に曲をつけることや、編曲や、
それを演奏する才能を下さっているように思う、
今日この頃です。

そして実際に、そういう仕事をすることで、
周りの人々と、かけがえのない喜びを分かち合うことができるので、
方向性としては、御心に合っているのだと思います。

だからと言って、もう私は一生、一から作り出す作曲はしない、
ということではないのですが、
昔のように、どの仕事が創造性がなくてダメで、
どの仕事が創造性があって素晴らしい、
というような、変な格付けをしないで、
与えられたものを感謝しながら、
ひとつひとつに取り組めたら、と思います。

ひとつひとつの音に心を込めて、
いつも前進したいと思います。
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ふぇ〜い [音楽日記]

今日から、非常勤講師の仕事が始まったのです。
風邪がまだ完全には治りきっていないけど、
何とかがんばって行ったのです。

そしたら、何だか学校の中が、緊張感でピリピリしているの。

今年は少し、先生が入れ替わって、
割とそういうタイプの先生が多くなったからかなぁ。
無駄なことは一切許しません!みたいなね。

まぁ、それは別にかまわないのですが、
ある初対面の先生には、挨拶も断りもなく、
無言でそこのけ、みたいな行動をされたので、
ちょっとびっくりしました。

まぁ、毎回直接関わる先生じゃないから、良いけどね。
なるべく触らずに居よう。

で、そういう雰囲気に少なからず居心地の悪さを
感じたのですけれど、
でも、以前と今では、多少自分の立ち位置が違うことも
感じていました。

以前は、そういう雰囲気にさらされると、
ひたすらボロを出さないようにとビクビクして、
何かがあると、全部自分が悪いような気持ちがしたのです。

でも今日は、別にいいや、他人だし、と思っていました。

そして、私がその雰囲気に合わせなくてはならない、
とは、あんまり思いませんでした。
合わせようと思っても合わせられないと思うし、
そんなことをするエネルギーももったいないしね。

雰囲気にあんまり呑み込まれず、私は私のままで居られて、
ただ、神経質な雰囲気だなぁ、と客観的に感じることができたのです。

それは私にとっては、割と新しい立ち位置のように思います。
そして多分、そのような立ち位置が、自分らしく、ぶれずに、
自分のするべきことを精一杯できる位置なのだろうと思います。

という訳で、悪いけど今年も、私は私のやり方でやるよ。
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調律師さん [音楽日記]

私のピアノは、私が10歳の頃から弾いている、
ヤマハのC3(グランドピアノ)です。
ですから、私の年齢より10年若いだけで、ウン十年経っています。

私が子供の頃、調律は、
両親が若い頃からお願いしていた、Yさんという調律師さんが、
調律して下さっていました。
私のために両親がグランドピアノを購入してくれた時も、
Yさんが色々とアドバイスして下さって、一緒に選んで下さいました。
(Yさんは、当時はヤマハに所属なさっていたので)

両親は、Yさんがピアノを調律すると、
音の高さはもちろん、音色まで美しくなる、と言っていました。
でも私は、当時は、他の方の調律を知らなかったので、
Yさんの調律を当たり前のことだと思っていました。

でも、大人になって実家以外のところで、
色々な方に調律をお願いするようになると、
Yさんの調律が普通ではなかったことに気がつきました。

調律したてなのに、何だかハーモニーに違和感があったり、
何だか弾いていて気持ち良くなかったり・・・

時々コンサートで演奏する時、あ、このピアノはとても良い!
と思うことはあっても、調律師の方とはお会いできなかったり、
(演奏家が楽屋入りする前に調律して帰られることが多いので)
お会いしても家が遠くて出張して頂けなかったり、ということがありました。

それでいつしか、うちのピアノの調律については、
あまりこだわってもしょうがないのだ、と思うようになり、
とりあえず弾ければ良い、という意識になっていました。

それが数年前のこと、
某楽器店に電話して、派遣して頂いた若い調律師さんが、
私のピアノを2回調律した後、

「このピアノはもう古くて、調律してもすぐに狂うので、
買い替えて下さい。」
と、簡単におっしゃるのです。
そして、翌日にはサッサと、新しいピアノのパンフレットなんか、
持って来られたのです。

そりゃあウン十年も経っていてポンコツなのはわかっているけれど、
子供の頃に、Yさんと一緒に選んで、
愛着を持ってずっと練習して来たピアノを、
2回調律しただけの方に簡単に買い替えろと言われて、
ちょっとカチンと来ました。
楽器に対する愛情がわからない人なんだなぁ、と思いました。

しかも、その方の調律を私は良いと思っていなかったので、
納得行かなかったのです。
(調律直後でも、音程に違和感がありました)

そこで私は、初めて本気になって、調律師を探し始めました。
でも私は、ダンナさんと結婚してから埼玉県に引っ越して来たので、
音楽家の知り合いが近くにおらず、
人に聞いてもなかなか見つかりませんでした。

結局、ネットを見て、→ピアノ調律.net

一番良さそうだと思った方に頼んでみました。
(その方の調律に対する思いとか、調律して頂いた方々の感想とかを見て)

そこで見つけた方、Mさんは、
私が今までお会いした調律師さんとは全く違っていました。

私が昔お世話になっていた、Yさんが調律している時は、
両親は、お茶だけ出して、後はYさんの邪魔にならないように、
(何せ、音を聴いて合わせる、繊細なお仕事ですから)
静かに別室で待っていました。

でもMさんは、「良かったら作業をご覧下さい。」
とおっしゃいます。
そして、私のピアノを分解しながら、
この力がここに伝わってハンマーが跳ね上がって、
ダンパーが上がって・・・と、解説したり、
ここが錆びて動きが悪くなっていますから、磨きます、
と言って、汗だくになりながら磨いたり、
(弦も手が届くところは全部磨いて下さいました)
すべての作業行程を見せて下さいました。

私はピアノを何十年も弾いて来たけれど、
ピアノの中身がどうなっているのか、つぶさに見たのは、
これが初めてでした。

そして、調律師の方が、すべての音を均一にするために、
一つ一つのキーをどんな風に手入れをして下さるのか、
初めてわかりました。

しばらく、まともな手入れがされていなかったピアノなので、
初回は、4時間近く、そういった手入れをして下さり、
音を合わせる時間が足りなくなってしまう程でした。

調律が仕上がって弾いてみると、
あら、私のピアノって、こんなにきれいな音だったかしら?
いうぐらい、音が違っていました。(音色も音律も)

そして、ピアノは確かに古いけれど、お手入れをすれば、
まだ使えますよ、と言って下さったのです。

あぁ、やっぱり簡単に買い替えなくて良かった、と思いました。

それ以来、Mさんにずっと調律をお願いしていて、
先日3回目をお願いしたのですが、
今回の調律でピアノが、大体本来の響きを取り戻して来たそうです。

自分で弾いてみた感じでも、今までに無かったような音の輝きがあります。

Mさんのお仕事を拝見してから、私もピアノを弾く意識が少し変わりました。
あんなに一音一音が丁寧に、スムーズに、均一に鳴るように、
調整されている楽器なのですから、やっぱり弾く人間も、
一音一音が美しく鳴るように弾かなくては、と思うようになったのです。

そして、ただ音階の練習をしている時でも、
何だか、丁寧に揃えられた音を聴きながら練習するのが、
楽しくなりました。

Mさんの楽器に対する愛情が、私の意識を変えてくれたように思います。
私がピアノを弾く時も、一つ一つの音へ愛を込めるような、
弾き方ができたらと思います。
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