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想像力 [でもクリ日記]

想像力を働かせることの大切さを、最近つくづく感じています。

私はクリスチャンなのですけれど、ここ十年以上、
かつては驚きと発見に満ちていた聖書を読むことが、
何となくマンネリ化していて、
表面的なことしか読めなくなっていました。

その理由として、一つには、
更年期に入って、活字を読むこと自体が、しんどくなってしまった、
ということもあったと思うのですが、
聖書を読むのが面倒になって、
礼拝の時ぐらいしか聖書を読まなくなっていたし、
やっと読むことがあっても、表面的なことしか入って来ない、
というような日々が続きました。

仕方がないので、聖書の言葉について、深く解説してある本を読んだり、
活字を読むのも嫌な日は、
説教の音声や動画を見たり聴いたりするだけ、という日も。

不信仰、というよりも、心身の問題が大きくて、
身体も動かなかったし、頭の働きも深く考えることを拒否していた、
ということだったように思います。

でも先日、画家のWさんがいらっしゃって、
家で「トドの会」(聖書の言葉を聴いてから、
みんなで一緒にご飯やお菓子を食べて、
心も身体も元気になろうという会)がありました。

Wさんはパリ在住の画家で、
私に初めて、聖書の言葉を教えて下さった人です。
一年に一回ぐらいは来日して日本でも個展をなさり、
いつもはパリで毎月一回開いている「トドの会」
を、日本各地で開いて下さいます。

Wさんの語られる聖書の世界には、
たくさんのWさんの想像力が働いていて、
聖書の中の出来事が、遠い世界の昔の出来事ではなくて、
すぐ隣で起きていること、と思うような、
リアリティにあふれていました。

聖書は、時代背景を調べたり、言葉の意味を調べたり、
という、学術的なアプローチも大切なのかもしれませんが、
同時に、今も昔も変わらない生身の人間として、
そこに出て来る人々が、何を見て、何を食べ、
何を聞いて、どんな匂いをかいで、
何を感じていたのか・・・といったことを、
我が身に置き換えて、色々と想像してみることも
大切なのだなぁ、と思いました。

そして、そう思いながら聖書を読んでみると、
色々な言葉にひっかかり、
「なんでだろう?」
「何を暗示しているんだろう?」
と考えるようになって来ました。

そして、言葉の意味を深く考えるために、
色々と調べながら読むようになりました。

・・・と、このように考えられるようになったのも、
少し体調が上がって来た証拠で、
信仰が強くなった、という訳ではないですけれど、

ここに来て、
一つ新しく気づくことができて良かったと思います。

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